父の最期

父は、膵臓と肝臓の癌でステージ4という末期でした。

74歳の誕生日を1ヶ月後に控えていて、仕事もしておりました。
末期ではありましたが、抗がん剤の通院治療で、自宅にずっといましたし、
わりと元気な方だったと思います。

ただ、ここ1週間は、ちょっと足のむくみがひどかったので、
仕事はお休みしておりました。でも、入院は頑固に拒んでいて、
最後の最後に救急車で集中治療室に入ったのが、最初で最後の入院になりました。

先週の土曜日の夜中に、急に苦しみだして、
午前12時頃に救急車で病院に運ばれて、「しばらく入院しましょう!」と言われて、待合室で待っていると、「ちょっと状態が悪いので点滴します。」と医者から説明が…
父に話しかけると、酸素マスクはしているのですが、
ちょっと苦しいけど大丈夫!」と返事が…
(何だよ〜、みんなで駆けつけなくても大丈夫だよ…顔してた…)

待合室で待っていると「かなり危険な状態です」になって、医者から「そういった状態になったら人口呼吸器をつけますか?」
って言われて、医者からはいろいろ説明は受けたのですが、そういった状態?がよく理解できないまま「はいそのときが来たら、お願いいたします。」
しはらくするとそのときが来て…
「人口呼吸器」が装着されて…

でも、人口呼吸器が装着されるってことは、自分では、呼吸が出来ず植物人間状態になっちゃうことだったと知ったのは、亡くなって冷静になれてから…。

それが午前3時半ごろ…。少し状態が落ち着いたところで、集中治療室へ移動。

そこからは、心臓が止まると、心臓マッサージをしてもらいの繰り返し。
何度か繰り返すうちに医者から「次に止まったらどうしますか?」
「もう、充分頑張ったから、次に止まったら、もういいです」
どんどん心臓の動きが弱まり、そのときは近づいて来て、とうとうモニターが全て「0」に
最初は130くらいの数値を示していたのに、一つずつ数が減ってきて、
すごく辛かったです。


医者と看護師さんがすぐに来て「ご臨終の確認をしてもよろしいでしょうか?」
穏やかな最期でした。
悪いのは悪かったのですが、こんなに早くあっけなく亡くなってしまうとは思わなかったので、
ビックリしました。

でも、潔い最期でした。苦しそうでもなく、本当に穏やかに亡くなりました。
 最後に、点滴のせいもあったと思いますが、目から涙が出ていました。
 
 ありがとうだったのかな?まだ、向こうに行きたくないよって涙だったのかな?

亡くなる前日に、しばらくシャワーだけの生活だったので(しゃがむとなかなか起き上がれないので)「明日湯船にみんなで、入れてあげるからね〜」「おっ!楽しみだな〜、じゃ、今日はシャワーも我慢するよ」って…。

無理してでも、お風呂に入れてあげればよかったね…。ごめんね…。
それだけが、とっても心残りです。